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野球部紹介

特集

杉浦忠氏を偲ぶ

2001年11月11日、私たちの大先輩である杉浦忠氏が亡くなられました。
ここでは、杉浦氏が立教大学野球部の黄金時代を築きあげた軌跡と、
南海時代のご活躍を振り返ってみようと思います。

また、この場をおかりして、後輩一同、杉浦氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

南海時代
2. 日本シリーズ4連投4連勝

杉浦氏が作られた数々の伝説の中でも最も有名なのが、昭和34年日本シリーズでのいわゆる「血染めの4連投」です。

■第1戦 南海10―7巨人

鶴岡監督は昭和30年までに日本シリーズで4度戦って、4連敗と、日本一を巨人に阻まれ続けてきました。打倒・巨人と燃える中、鶴岡監督が自信を持って第1戦のマウンドに送り出したのは、シーズン中に38勝4敗と抜群の成績を残した杉浦氏。杉浦氏は監督の期待に応え、8回まで3失点。まず、シリーズの先手を取ります。

しかし、このときすでに1年の酷使の報いか、右手中指には血豆ができていました。

■第2戦 南海6-3巨人

2戦目は南海・田沢、巨人藤田の両投手の先発で始まりました。南海は1回、杉浦氏の盟友・長嶋氏に先制の2ランホームランを放たれるものの、4回に、一挙4点を奪い逆転に成功。そして、杉浦氏が登板します。1点を失うものの、最後まで投げ抜き、チームも自身も2連勝。

血豆はさらにひどくなり、自分で針で穴をあけて、血を抜きますが、傷口の痛みは消えませんでした。

■第3戦 南海3-2巨人

第1戦に続く先発。1回に長嶋氏にタイムリーヒットを打たれてしまいますが、その後は息詰まる投手戦になります。そして、延長10回の末の完投勝利。

この試合、とうとう中指の皮がはがれ、杉浦氏は投げるたびにボールを血で染めていました。

翌日、東京は雨で試合中止。杉浦氏にとっては貴重な休養となりました。

■第4戦 南海3―0巨人

4連投で三度目の先発となった第4戦、ばんそうこうを巻いての登板でしたが、それもはがれてしまい、またもボールは血染めに。しかし、杉浦氏は見事痛みに耐え抜き、素晴らしいピッチングで巨人打線を5安打無四球での完封勝利を成し遂げました。

注目の長嶋氏との対決も日本シリーズ通算14打数3安打(いずれも単打)に押さえ込み、遂に南海を日本一に導きました。

試合直後、ボールを血で染めるまで投げ抜いた大エースは、「今、何をしたいか?」と聞かれたとき、「一人になって思いっきりなきたい」と語ったそうです。

■シーズン通算記録
4 4 0 32 27 1 6 20 6 5 1.41
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