野球部紹介
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ユニフォームのはじめ
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野球部最初のユニフォームは、黒地に白でSTPCと書かれてあるものでした。これは、『St.Paul's College』の略です。 創部当時、知名度が無いに等しい本学野球部は、「なんだあれは、スイート・ポテト・クラブの略かい」などと冷やかされることもあったと言います。 |
<写真左/大正5年頃・写真右/大正8年頃>
『RIKKIO』の文字

胸にRIKKIOの文字が入ったのは大正9年頃のことです。
このユニフォームは、山下銜氏(大正11年卒)のデザインによるものですが、『立教』の横文字の正しい表記はRIKKYOでRIKKIOは英語、 ローマ字表記のどの方式にもありませんでした。
山下氏によれば、この文字をデザインしたとき、『Y』ではおさまりが悪いので『I』にしたのだということです。 いずれにしても、現在でも立教大学体育会の多くの部はこのRIKKIOを使用しています。
<写真/大正10年頃>
ユニフォーム変遷期
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この後六大学リーグ加盟の頃のユニフォームは地色も黒から白に変わり<写真左/昭和6年頃>、帽子は黒に立教の象徴であるユリの金モール、 ストッキングは白と紺というスタイルになり、その後は戦時の横文字禁止時代まで大きな変化はありませんでした。
横文字禁止時代には、左胸に縦に大きく『立大』と入りました。
<写真左/昭和6年頃・写真中央/昭和6年頃・写真右/昭和18年頃>
縦縞のユニフォーム
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この縦縞のユニフォームを最初に着用したのが、20年ぶりの優勝に沸いた昭和28年春のシーズンでした。
昭和28年卒の大竹作造氏は、「27年のシーズンが終り、年度が切り変わるとき、先輩の石川さん(旧姓塩田義雄・昭和12年卒)から 新しいユニフォームの話がありました。
石川さんはこれまでの六大学のカラーを破ってスマートで強そうなユニフォームでいこう、 それにはニューヨーク・ヤンキースのあの縦縞がいいということでした。OB会にはかると、古い先輩から、伝統にそぐわない、 プロのようなユニフォームはよくないと反対にあって、われわれも困って最後は当時の佐々木順三総長にお伺いをたてたのです。
佐々木先生は『野球はユニフォームでやるのじゃない。君たちの気持ちさえしっかりしているのなら、 強そうなユニフォームも面白いじゃないですか』とおっしゃられ、それで結論が出ました。
しかし、このユニフォームを着て試合をした藤倉電線との試合で敗れ監督に怒られました。 このユニフォームのためにも頑張らなくちゃと皆が一生懸命になったのが、ひとつは春の優勝につながったのじゃないでしょうか。」と語っています。
こうして、伝統ある縦縞のユニフォームが誕生し、現在まで受け継がれてきました。
<写真/昭和30年頃>