昭和4年、我が野球部に待望の新合宿所ができた。 合宿はそれまで借家住まいであり、グラウンドが長崎に移転してからは、東長崎駅前の大野屋をはじめ、民家三軒を借りて分散して合宿していた。 完成した新しい合宿所はグラウンドの近くにあって、二階建六畳間25室を有するクリーム色の洒落た建物であった。 この合宿所は後に、久保田部長によって『智徳寮』と命名され、昭和41年グラウンドと共に合宿所が新座に移転されるまで、数多くの選手たちがここで起居し、共に笑い共に泣いた、想い出多い場所となった。
建物竣工の当時は、ただ立教大学野球部合宿所と呼ばれていた。現在と違って合宿所の二階の窓からは武蔵野がパノラマのように一望され、富士の姿もよく見えた。 設備も当時としては最上のもので、階下には会議室兼食堂に応接間、風呂にはシャワーの設備もあった。 7月15日引越しを終え、選手達はそれぞれの部屋に入った。
「合宿所の建設は野球部最初の大きな事業でした。借家住まいで肩身の狭かった我々も、この合宿の完成で先進野球部の仲間入りができ、野球部にもまとまりができました。」
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