大正13年7月、立教大学は武蔵野線(現西武池袋線)東長崎駅から数丁の場所(市外長崎村西原2732番地)に校地を購入した。 これはその前年の関東大震災で築地にあった立教中学校が倒壊したため、これを再建するためのものだった。
ところが計画が中途で変更になり、池袋校地内にあった野球部グラウンド(現在大学四号館付近)が代わってこの建設地にあてられることになったため、 野球部グラウンドは東長崎に移転せざるをえなくなったのである。敷地購入の翌年、大正14年のことである。 そして球場が完成したのがその年の秋になる。
この球場での最初の試合は10月13日の対明大戦であるが、この試合は、明大湯浅投手の快腕の前にノーヒットノーランを喫するという、不名誉な結果に終わった。
しかし、この球場はそれから40余年、即ち昭和41年に再び埼玉県新座市に球場が移転するまでの間、幾多の名選手を世に送り出し、そこを巣立った人たちにとっては忘れ難い想い出の場所となった。
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