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野球部紹介

寮・グラウンドの歴史

1918年(大正7年) 専用のグラウンドを持つ

大正7年、立教大学が築地から現在の池袋に移転したことにともない、専用のグラウンドを持てるようになった。 以前は築地明石町にあった六角塔校舎の中庭で練習を行っていた。

用地の買収は既に明治の終わりになされており、大正に入ってからは、大学や中学の野球部員たちが荒れ果てた田畑の中を、整地のためローラーを引いたりする姿が見られた。 築地のグラウンド(中庭)が狭くて日比谷でよく練習していた部員たちもようやく自分たちのグラウンドを持つことができた。

完成したグラウンドは校舎と同じくウィルソン技師の設計によるもので、バックネットの他に、その裏側には10段程度の簡単なスタンドもつけられてあった。 このとき立教大学総理の任にあったチャールズ・S・ライフスナイダー師は野球部のため米国からバッティングゲージを取り寄せてくれた。

移転してきた池袋は、その昔は東京府北豊島郡巣鴨村の一字であり、当時も見渡す限りの畠地で、 池袋の駅(当初は東口のみ。この駅を起点に大正3年には武蔵野鉄道<現西武池袋線>、東上鉄道<現東武東上線>も開通した)からは、まさに畠地を歩いての登校であった。

ともかくも、野球部としては環境整備の面で一歩前進を見たのである。

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