立教大学野球部が大学から正式に部として認められたのは明治42年とされている(立教学院85年史)。
部として認められたとはいえ、当時の学生数は商科・文科併せて50名そこそこ、これではチームを作るのがやっとで、立教中学の野球部に依存するところが多かった。
練習も主に築地の中学校のグラウンドで行ったが、このグラウンドもグラウンドとは名ばかり、実体は三一教会と神学校に囲まれた中庭みたいなところで、 狭いため外野の練習は満足にできず、大きな飛球はすべてガラス張りの講堂の屋根を直撃する有様だった。 このため大学では、野球部を存続させるかどうか真面目に考えたという話も残っているくらいである。
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